平安時代の食事マナーとは?貴族料理体験スポットも紹介
平安時代の食事マナーとは?貴族料理体験スポットも紹介
平安時代の食卓を形作ったものとは
平安時代の食事はどのようなものだったのか?
千年の時を遡る平安時代。人々の食事は、現代にも通じる「米」を中心とした食文化が貴族階級を中心にすでに確立されていました。主食は、硬めに蒸した「強飯(こわいい)」、やわらかい「姫飯(ひめいい)」、さらには汁気の多い「汁粥(しるがゆ)」など、用途や階層に応じてさまざまな形で食されていたのです。
実際にこの食事を体験できる施設はこちら
👉 レストラン清衡|えさし藤原の郷
副食には、川魚や海藻など(※内陸では乾燥品を活用)、野菜、豆類など、日本各地の自然の恵みが並びました。調理法は「蒸す・煮る・焼く」が中心。味付けには塩や米酢、酒のほか、中国から伝来した発酵調味料「醤(ひしお)」が使われていたのも特徴です。
この時代、料理の味は調理人ではなく、食べる人が仕上げるものでした。この習慣は唐の食文化の影響でもあります。そのため、基本の味付けは最小限にとどめられていました。食膳には「四種器(ししゅき)」と呼ばれる調味料セット(塩・酢・醤・酒)が置かれ、各自の好みで味を調整していました。
また、また、「一汁三菜」のような基本構成は、すでにこの時代にその原型が見られ、貴族の食事にはもちろん、簡素ながらも庶民の献立にも取り入れられていたと考えられます。特に上流階級では器の材質、配置、配膳の順番にまで美意識が反映され、まさに『食は文化』として位置づけられていました。
さらに、四季折々の旬の食材を取り入れることも当たり前とされ、自然とともに生きる価値観が息づいていたことがうかがえます。桜の季節には山菜、秋には栗やキノコといった季節の味覚が、当時の人々の生活に彩りを添えていたのです。
中国文化の影響と平安時代の料理
平安時代の食事を理解する上で欠かせないのが、中国文化、特に唐の食文化からの影響です。奈良時代に盛んだった遣唐使を通じて、多くの中国的な要素がもたらされ、それは平安時代初期の貴族社会の食文化にも色濃く反映されました。
たとえば、肉食を避ける思想や、五葷(ごくん)と呼ばれる臭いの強い野菜(にら、にんにく、ねぎ、たまねぎ、らっきょう)を忌避する風習は、仏教とともに伝わった中国の影響です。これにより、精進的な料理法が上流階級を中心に根づいていきました。
食器の並べ方や、食事の儀式化も中国からの輸入です。器を一定の数と形式で整然と配置することで、「食卓の美」が尊ばれるようになり、貴族の間では“食べる”という行為そのものが格式のある儀式となっていったのです。
また、食材そのものにも中国由来のものが登場します。たとえば、豆腐や、そうめんの原型となる食品はこの時代に伝わり、やがて日本の食文化に深く根を下ろしていきます。これらは当初こそ貴族の食材として珍重されていましたが、のちに徐々に庶民の食卓にも取り入れられていきました。
しかし、894年の遣唐使廃止以降、日本は中国からの直接的な文化の輸入を中止。それを契機に、外来文化を咀嚼しながら日本独自の「国風文化」が育まれていきました。食の分野でも同様に、唐風の食文化が次第に和風化され、独自の工夫が加えられていきます。
つまり、平安時代の料理は、単に中国文化を取り入れたものではなく、それを日本流に再構築した結果であり、日本人の感性と美意識に支えられた「和」の食文化の源流とも言えるのです。
実際にこの食事を体験できる施設はこちら
👉 レストラン清衡|お休み処えさし藤原の郷
平安の食事マナーと女性たちの暮らし
平安時代の食事には、単なる栄養補給の場を超えた“作法”や“所作”が存在していました。特に貴族階級の女性たちは、食事の場においても厳格なマナーを守り、品位ある立ち居振る舞いを求められていたのです。
たとえば、当時の女性は男性の前で直接食事を取ることを避けることが多く、御簾(みす)や几帳(きちょう)の陰から手元だけを見せて食事をしていたという記録も残っています。これは「慎み深さ」が美徳とされた平安貴族社会において、女性が公の場で食事すること自体がある種の“振る舞い”とみなされていたためです。
また、使用する食器にも意味がありました。漆器や儀礼用の青銅製の器など、上品で格式のある器が使われ、それをどのように扱うかも女性の教養や立場を示す重要な要素でした。器を持つ角度、口に運ぶ所作、食後の片付けに至るまで、すべてに礼節が求められ、優雅であることが美徳とされていたのです。
宴席では、女性たちが直接料理を取り分けることは少なく、当時の習慣では、身の回りを助ける人々が料理を配膳し、女性は優雅な振る舞いを心がけていました。つまり、食事の場は単なる食事の時間ではなく、品位や教養が問われる格式ある空間でもあったのです。
こうした文化は、時代を経ても日本女性の所作や作法の原型となっており、現代の茶道や懐石料理の所作にも、その精神が反映されていると言われています。
一方、庶民の女性たちにはこうした厳格な作法はなく、実用性を重視した暮らしの中で、日々の食事をこなしていたと考えられます。しかしながら、漬物や干物づくりなど、家庭内での保存食の知恵は女性たちが担っており、その暮らしの工夫は千年を越えて、今なお日本の台所に生き続けています。
平安京の食を支えた知恵と工夫
平安時代の都、平安京は、最大で数十万人が暮らす大規模都市とされました。そんな大都市の人々が日々の食事を確保できたのは、当時の人々の知恵と工夫に他なりません。
まず大きな課題は「保存」です。もちろん冷蔵庫などは存在せず、生鮮食品はすぐに傷んでしまいます。そこで活用されたのが、「干す」「塩漬けにする」「酢で締める」などの保存法です。川魚は干物に、野菜は漬物に、肉類はほとんど使われなかったものの、山鳥などは塩や酒で風味をつけて保存されていました。
こうした工夫は、現代で言えば“無添加保存”ともいえるもので、食の安心・安全という観点からも欠かせない技術でした。保存が利く、つまり流通に乗せられるという意味でも、食品の寿命を延ばす工夫は当時の物流に不可欠でした。
また、都への食材供給は周辺地域との密接なつながりによって支えられていました。京都周辺の山城国や近江国などから、米・雑穀・野菜・山の幸が運ばれ、川や道を通じて都市部に流通していました。これにより、庶民から貴族に至るまでの多様な階層が、必要な食材を入手できたのです。
さらには、政府が設置した「市(いち)」と呼ばれる市場も都市機能の一環として重要でした。定期的に開かれる市では、物価の安定や品質管理も行われ、供給の均衡を保つための制度も整えられていたのです。
このように、食の安定は都の安定と直結しており、食材の流通・保存・備蓄は、まさに当時の都市運営のインフラでした。そしてこれらの知恵は、自然と共に暮らす感性やエコ的な発想として、現代にも通じるものがあります。
実際に平安時代の食事を体験できる「レストラン清衡」紹介
「レストラン清衡」とは?|お休み処えさし藤原の郷の体験レストラン
岩手県奥州市にある歴史公園えさし藤原の郷は、平安時代の貴族文化や建築を再現した大型テーマパークです。その敷地内に設けられているのが、お休み処えさし藤原の郷「レストラン清衡」。ここでは、当時の文献や料理書をもとに再現された平安時代の食事を実際に味わうことができる、非常に珍しい体験型レストランです。
体験は2名以上から予約制で行われ、提供されるメニューは「秀衡の宴」や「義経の宴」といった平安貴族の正式な膳を模したもの。料理の構成や器、配膳スタイルに至るまで再現性が追求されており、現代に生きる私たちが千年前の「食卓」に座るという、貴重な機会を提供してくれます。
実際に「レストラン清衡」で提供される「秀衡の宴」(8,800円・要予約)は、平安時代の貴族が食したとされる献立を、文献に基づいて忠実に再現した内容です。料理は品目ごとに構成されており、味はもちろん、見た目や器にも当時の雰囲気が息づいています。
- ①鴨の醤焼き、鮭の笹焼き、枝豆
- ②あわびと大根の酒蒸し
- ③むなぎ白蒸し
- ④鮭の昆布締め
- ⑤いえつも(煮物)
- ⑥須々保里(漬物)
- ⑦唐菓子(甘味)
- ⑧堅果類(ナッツ類)
- ⑨強飯(こわいい)
- ⑩羮(あつもの、汁物)
- ⑪白酒(食前酒)
- ⑫塩・醤
- ⑬米酢(よねず)
それぞれの料理は、素材の味を活かしながらも、塩・醤・酢といった最低限の調味料で味を調えるのが特徴です。調理法や盛り付けにもこだわりがあり、当時の食文化や美意識を五感で味わうことができます。
料理は全体で13品に及び、現代人の感覚では「一度の食事というより、宴のコース」に近いボリューム。食事そのものが“教養と格式”の表れであった、平安時代の貴族社会を体感できる内容です。器にもこだわりがあり、漆器風のものや竹の葉を用いた盛り付けなど、視覚でも平安時代を感じられる演出が施されています。
量や構成も実際の宴に倣っており、現代人の感覚でいう「3食分」に匹敵するボリュームがあるとも言われます。体験した人からは、「素材の味が生きている」「塩と酢だけでここまで味に深みが出るとは」など、再現性と独自の味覚に対する高い評価が寄せられています。
📌 利用案内(要予約)
お申込み人数:2~30名様
予約締切:ご利用日の 5日前まで に要予約
キャンセル規定:
5日前まで…無料
4日前…料金の50%
3日前~当日…料金の100%
※人数変更(減員)はキャンセル料と同じ扱いになります。増員はご相談ください。
予約できない期間(※提供休止期間):
・令和7年 4月26日〜5月11日
・令和7年 8月8日〜8月17日
・令和7年 9月13日〜9月15日
・令和7年12月24日〜令和8年1月12日
📞 ご予約・お問い合わせ先
電話番号:0197-35-7791(えさし藤原の郷)
※すべての体験は事前予約制です。
📍お休み処えさし藤原の郷 レストラン清衡(公式サイト)
https://www.fujiwaranosato.com/heian-meal/
平安時代の暮らしを味覚で体験する楽しさ
この体験が特別なのは、ただ料理を味わうだけでなく、千年前の価値観や文化を、身体で感じられる点にあります。書物や展示を見るだけでは得られない、当時の人の視点で食を体験するという貴重な時間。そこには「食べること」が文化の継承手段でもあるという実感があります。
さらに、同施設では衣装体験や建築物の見学も可能で、「衣・食・住」が一体となった総合的な平安時代体験が可能です。まるで平安時代にタイムスリップしたかのような臨場感と、学びと感動が一度に味わえるのが、えさし藤原の郷の魅力です。
まとめ – 平安時代の食事を知り、体験する価値
平安時代の食事を知ることは、千年前の人々の価値観や暮らし方、社会構造を理解する入り口でもあります。米を中心とした献立、季節を感じる食材選び、厳格な礼法に基づいた所作。そして、貴族と庶民の間に広がる生活の差。それらは単なる食の記録ではなく当時の人々の価値観や社会の在り方を映し出す、生きた文化そのものでした。
また、中国文化の影響を取り入れながらも、日本独自の感性で発展してきた平安の食文化は、私たちが今「和食」として親しんでいる基盤とも言える存在です。その背景には、信用に基づいた食材の流通や安心・安全を意識した保存技術など、現代にも通じる知恵が詰まっています。
こうした歴史を、「見て・知る」だけでなく、「味わい・感じる」ことができるのが、えさし藤原の郷・レストラン清衡の体験です。料理の再現度は資料と専門家の監修によって高く保たれ、形式も器も、味付けまでもが平安時代当時のまま再現されています。まさに、信用できる食の歴史体験と言えるでしょう。
歴史は書物の中だけにあるものではありません。食という五感に訴える体験を通して、私たちは過去とつながることができます。だからこそ、平安時代の食事を体験することには、学び以上の価値があるのです。
今、千年の時を超えて、「平安の食卓」があなたを待っています。