平安時代の服装を徹底解説|貴族と庶民の衣装の違いに迫る
平安時代の服装を徹底解説|貴族と庶民の衣装の違いに迫る
平安時代の服装の基本を知る
平安時代の服装の特徴と時代背景
平安時代(794年〜1185年)は、日本文化の独自性が花開いた時代として知られています。桓武天皇によって京都に都が移されたことで、政治の中心は貴族社会へと移行し、同時に華やかで雅な文化が都を中心に形成されました。この背景には、唐風文化からの脱却という流れもあります。奈良時代までは中国・唐の影響が色濃く残っていましたが、平安時代には次第に日本独自の感性や様式が重んじられるようになりました。
こうした時代の流れのなかで、服装もまた変化を遂げていきます。奈良時代に見られた唐風の直線的な衣装から、より柔らかく、重ね着を美とする雅な装束が主流となりました。平安貴族たちは日常的にも儀式的にも装いにこだわりを持ち、身分や儀礼の場面に応じて着分けることが重視されました。これらの装束は、単なる服ではなく、身分を示す記号であり、都の文化を体現するものであったのです。
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男女で異なる装いのポイント
平安時代の衣装は、男女間、さらには階級によっても大きく異なっていました。男性貴族の代表的な装いには「直衣(のうし)」や「狩衣(かりぎぬ)」があります。直衣は宮廷内の非公式な場や日常生活で着用される略式の衣装で、動きやすさと格式を兼ね備えていました。一方、狩衣はもともと狩猟や外出時の衣服でしたが、後には貴族のカジュアルな正装としても使われるようになりました。また、儀式の際には「束帯(そくたい)」というより格式高い装束が用いられ、これは朝廷儀礼や公式の場面での必須の衣装でした。
対して、女性の服装は華麗さが際立ちます。貴族女性が身につけた「十二単(じゅうにひとえ)」は、複数枚の衣を重ね、その色彩の組み合わせや季節感を競い合う美の極致といえる装いでした。特に、十二単は単なる衣服ではなく、女性たちの教養や美意識を表現する手段でもありました。
一方で、庶民の服装は貴族社会とは対照的です。日常生活に根ざした実用性が重視され、素材は麻や木綿が中心で、形もシンプルな直垂(ひたたれ)や小袖(こそで)が主流でした。色も華美ではなく、落ち着いた色合いが多く、日常着として機能的であったことが特徴です。
このように、平安時代の服装は、身分や性別、さらに日常か儀式かによって明確に区別されており、それぞれに込められた意味や役割は、日本の美意識や社会構造を色濃く反映しています。
平安時代の貴族の服装|高貴な衣装の意味と種類
女性の服装|十二単の特徴と構造
平安貴族女性を象徴する装束といえば、やはり「十二単(じゅうにひとえ)」でしょう。現代でも皇室行事などで目にするこの衣装は、平安時代後期に完成されたものとされています。しかし、「十二単」という名称自体は後世の呼び名であり、当時は「重ね(かさね)」や「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」と呼ばれていました。
十二単の最大の特徴は、その重ね着の美しさにあります。単衣(ひとえ)と呼ばれる裏地のない衣を基礎とし、その上に五衣(いつつぎぬ)、打衣(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、唐衣(からぎぬ)、裳(も)などを重ね、合計すると10枚以上になることも珍しくありません。重ねる色の組み合わせ「襲色目(かさねいろめ)」は、季節や行事に合わせて変化し、自然や季節を表現する繊細な美学が込められていました。
このような装束は、ただ華やかなだけではなく、平安京を中心とする貴族社会において、女性たちが教養と洗練を示す手段でもあったのです。色彩や生地、柄には厳密なルールがあり、その選び方ひとつにも品格が問われました。また、十二単は重たく動きづらいため、女性たちは歩くことよりも座って優雅に佇む姿が美しいとされており、その所作の美しさまでが求められていました。
こうした雅な文化は、平安時代の都・京都で独自に育まれたものであり、日本独自の美意識「もののあはれ」を象徴する存在でもあります。
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男性の服装|直衣や狩衣の違いと使い分け
男性貴族の服装もまた、シーンや階級によって細かく使い分けられていました。最も格式の高い装束は「束帯(そくたい)」です。これは天皇や高位貴族が朝廷の正式な儀式に臨む際に着用する衣装で、威厳を示す象徴的な装いでした。
一方、より日常的に使われたのが「直衣(のうし)」です。これは宮中での私的な場や、儀式以外の公的な場での着用が許された装束で、束帯よりも簡素ですが、それでも格式を保つ衣服でした。袖は狭く、動きやすさも考慮されていたことが特徴です。
さらに「狩衣(かりぎぬ)」はもともと名前の通り、狩猟や外出用の服として用いられていましたが、時代が下るにつれ、貴族たちの日常服、あるいは略式の正装としても広く用いられるようになりました。軽快で動きやすい作りのため、若い貴族や武士階級にも好まれました。
これらの衣装は、身分社会が厳格だった平安時代において、着る人の立場や場面を的確に伝えるものであり、単なる服以上の「社会的な記号」として機能していたのです。
平安時代の庶民の服装|華やかさと実用性の違い
庶民の衣服と生活
平安時代の庶民たちの服装は、貴族社会の華美な装束とは対極をなす、極めて実用的なものでした。特に農民や職人、商人など日々の労働に従事する人々にとって、服装は生活の道具の一つであり、機能性が最優先されたのです。
彼らが身につけていたのは、直垂(ひたたれ)や小袖(こそで)など、比較的簡素な形の衣服でした。素材も高価な絹ではなく、麻や木綿が中心で、染料も高価なものは使えず、生成りや藍染め、草木染めなど、自然由来の落ち着いた色合いが主流です。特に麻は日本の気候に合っており、通気性や耐久性に優れ、日々の農作業にも適していました。
また、身分による制約もあり、庶民が派手な色や柄を身につけることは基本的に許されていませんでした。これは、服装が身分を可視化するツールだったことに由来しています。奈良時代までは庶民も一定の唐風衣装を着ていましたが、平安時代に入ると貴族の服装がより華やかになる一方で、庶民の服はより簡素で現実的な方向へとシフトしていきました。
このような衣服の違いは、貴族社会と庶民社会の生活様式や価値観の差を如実に物語っています。庶民にとって衣服は長持ちして動きやすいことが最も重要であり、見た目の豪華さよりも実用性を追求したのです。
行事や祭りでの装い
もっとも、庶民が常に地味な服ばかりを着ていたわけではありません。祭りや年中行事、婚礼などの特別な日には、彼らなりに華やかな装いを楽しんでいました。例えば、藍染めの衣を新調したり、草木染めで淡く色を付けた装束を身につけることで、日常とは異なる気分を味わっていたのです。
また、地域によっては独自の衣装文化が発展しました。例えば、京都近郊では洛中洛外の祭りで庶民が祭礼用に特別な衣を用意することもあり、こうした文化が後の時代まで継承されています。とはいえ、それでも貴族たちの儀式服とは明確に異なり、華美さや格式ではなく、共同体の結束や豊作祈願といった実用的・宗教的な意味合いが強いものでした。
貴族社会では雅やかな季節感や美意識を表現するために服装が存在しましたが、庶民社会では生活や行事に密着した、より現実的な存在だったといえるでしょう。こうした違いを通じて、平安時代の服装は単なるファッションではなく、その社会構造や生活文化を映す鏡だったことが見えてきます。
平安時代の服装から読み解く日本文化の美意識
色彩感覚と季節感
平安時代の衣装には、日本人特有の色彩感覚と季節感が巧みに織り込まれていました。その象徴的な例が、十二単に代表される「襲色目(かさねいろめ)」です。これは重ね着の色の組み合わせにおいて、季節や場面にふさわしい配色を選ぶことで、自然への敬意や美意識を表現する文化でした。
例えば、春には若草色や薄紅色を基調とし、桜や若葉を思わせる軽やかさを演出しました。夏には涼しげな白や水色、秋には紅葉を模した濃い紅や黄、冬には雪の白さや松の緑をイメージする配色が好まれました。このように、衣装を通して四季を体現することは、ただの趣向にとどまらず、日本人独自の自然観や季節への感受性を示す重要な文化表現でもあったのです。
また、こうした色彩の感覚は都・京都を中心に発展した雅文化とも密接に結びついています。京都の繊細な季節の移ろいは、貴族たちの装束選びに影響を与え、その結果、服装が自然と一体となった生活文化が築かれました。単に美しいからではなく、自然を映すことで心を鎮め、季節の美を感じ取る——これこそが平安時代の服装に込められた、深い日本文化の美意識だったのです。
現代に受け継がれる平安時代の服飾文化
この平安時代の服飾文化は、現代にも形を変えながら受け継がれています。たとえば、十二単や狩衣は、現代の皇室行事、神社の祭礼、結婚式などで再現され、伝統的な装いとしてその美しさを今に伝えています。近年では、十二単や狩衣を体験できるサービスも広がり、観光やイベントで平安時代の装束を身にまといながら、当時の美意識に触れる機会が増えています。
さらに、映画や舞台、現代美術の分野でも平安時代の装束がモチーフとして取り上げられることが多く、その色彩やデザインは日本の伝統美を象徴する意匠として愛されています。特に十二単の配色は、着物デザインや和小物などにも取り入れられ、現代のファッションやライフスタイルにも影響を与えています。
このように、平安時代の服装は単なる過去の衣装にとどまらず、現代日本においても、季節を愛でる心、自然と調和する美学、そして雅な感性を継承する重要な文化資産となっているのです。
平安時代の服装が現代にもたらした価値を体験できるスポット
平安時代の服装は、単なる歴史の一幕ではなく、日本文化の核心を映し出す存在です。雅やかでありながらも、自然や季節と深く結びつき、人々の生活と社会構造を象徴してきたその装いは、現代にも大きな影響を与え続けています。衣服を通して自然と向き合い、色彩や形状の背後に込められた意味を読み解くことで、私たちは平安時代の人々の価値観や美意識を感じ取ることができるのです。
当施設「えさし藤原の郷」では、こうした平安の服飾文化を実際に体験できる機会をご用意しています。貴族の装いである十二単や狩衣はもちろん、庶民の衣装も体験できるプランをご用意しており、装束をまとって平安貴族さながらの気分で写真撮影をお楽しみいただけます。衣装体験は、歴史への理解を深めるだけでなく、日本文化の美しさに触れる貴重な時間となることでしょう。
また、えさし藤原の郷は単なる展示施設ではなく、歴史を五感で楽しめる「体験型歴史テーマパーク」として、世代を問わず多くのお客様にご来場いただいています。ご家族でのレジャーや、教育旅行にもおすすめです。体験プランやイベントの詳細は、下記イベントページ の公式サイトよりご覧いただけます。
平安時代の服装を通じて、日本人が育んできた美意識や自然観を現代の私たちも再発見し、生活の中に取り入れていく。そんな楽しみ方が、今だからこそ求められているのかもしれません。